科学の不完全性。科学とどう付き合うべきか?

こんにちは、Ryotaです。

最近、やたら「科学的に」となんでもかんでも言っている人を見かけます。

科学的に正しい健康法だとか、科学的に正しい恋愛方法だとか、果ては、科学的に正しいハンバーグの作り方とか。笑

僕が専門にする心理学でも、この「科学的に正しい」傾向は強く、心理療法なども科学的なデータがあるものが治療法として選ばれています。

では、私たちが「科学」と呼ぶものは、いったい何でしょうか?

科学は元々、神の存在を証明するために生まれた学問です。

中世は宗教が支配した世界で、暗黒の時代と呼ばれています。人々は、この中世の中心であった「神」の存在を証明したかったのです。

サイエンティストと聞くと、神も仏もない論理的な機械的な人物を想像するかもしれません。

しかし、実際はその逆。

多くのサイエンティストは、敬虔なクリスチャンであったり、その他宗教に入信している場合がほとんどです。

例えば、不完全性定理の構築に貢献したゲーテルは、自らの証明が神の証明を否定することに繋がったとして、晩年、精神的におかしくなりました。

そして、やっきになって自分の証明を覆し、神の存在を証明するために研究を続けました。しかし、叶わず、狂死にました。

その後、G.チャイティンの研究を持って、不完全性定理は数学全般で証明されましたが、この定理が示すのは、すべての事象は、偶発性を逃れられないというものです。

つまり、ランダム性が入り込む余地が存在することを示しました。

これが何を意味するかというと、研究により、科学的に証明されたことだとしても、それがすべての人に当てはまることはない、と言うことです。

例えば、あなたが心の問題に苦しんでいたとします。科学は、心理療法や精神薬をあなたの治療のために提示します。

医者が差し出す根拠は、科学的なデータです。しかし、科学的なデータに裏付けされた心理療法や精神薬があなたというひとりの人間に効果を示すかは、偶発性に委ねられます。

他の人には効き目があったのに、自分は効果がなかった・・・

なんてことが起こるのが、科学的なデータを根拠にしたものだと言うことです。

要は、「科学的」という言葉は、「科学的な効果をあなたに保証する」という意味ではなく、「全体としてみたときに多くの人に効果があった」という意味なのです。

もうお分かりだと思います。

科学的とは、つまり、「平均である」ということです。あくまで統計。

僕の尊敬するある人はこんなことを言っていました。

「僕は科学的な方法論よりも、自分に効果がある方法論がほしい。」

その通りだと思います。

とはいえ、科学的を排除していると、今度はスピリチュアルが顔を出してきます。

これはこれでまた問題です。

科学なんて統計なんだから、神の力を信じなさい。という人が必ず出てきます。

昔から、「生まれか育ちか?」という問いがありますが、この答えは、「両方」です。

教育心理学の分野から見ると、「生まれか育ちか?」の問いに結論を出そうとした代表的な人物は、ゲゼルとワトソンです。

ゲゼルは遺伝説を唱え、人は遺伝によってすべてをあらかじめ規定されていると考えました。

天才は、生まれたときから天才だということです。

一方、ワトソンは環境説を唱えました。

環境こそが全てであり、自分に赤ん坊を預けてくれれば、医者にでも弁護士にでも育ててやる。と豪語しました。

この「生まれか育ちか?」という問いに新たな視点をもたらしたのが、シュテルンです。

彼は輻輳説を唱えました。

つまり、「生まれも育ちも必要じゃん?」と主張したのです。

そして、今日、彼の説が正しかったことが証明されつつあります。

何が言いたいかというと、科学もそれ単体で完全だというものではないわけです。

「科学」と「科学以外のもの」。その中間点にこそ、真実が隠れていると僕は思っています。

その中間点から生み出されたものが、僕の心理学です。科学的な根拠を担保しつつ、机上の空論ではない、実用性のある心理学。

それこそが、今、最も必要とされているものではないかと思います。

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